Articulation+

平素より弊画廊にご協力を賜り厚く御礼申し上げます。このたびギャラリー碧では小松佳代子(長岡造形大学教授)、生井亮二(武蔵野大学教授)による企画監修のグループ展「Articulation+」を開催いたします。

Articulation―区切りと生成 
Articulationは「分節化」と訳されることがあります。骨の関節や竹の節のように、それは分けつつ接続することを意味します。美術作品として形にすること、あるいは言葉として表現することは、流動的な世界に一つの区切りを入れることです。しかしそれは、わかりやすく分類して「わかったことにする」ためにではなく、いったん区切ることで、そこから新たな思考を生み出していくためにです。 

私たちはあらゆるものを区切りながら生きています。美術もさまざまなものと区切られているように見えます。美術は、感性的なものであって論理的なものではない、美術は虚構であって現実ではない、美術は感覚で理解するものであって研究するものではない…。確かにそうなのかもしれません。しかしそうして区切るのは、「美術とはこういうものである」と決めてしまうためではなく、むしろそのようにして区切ることで生じてくる違和感、「本当にそのように区切ることはできるのか?」という問いから、新たな見方が生まれていきます。 

本展覧会は、美術作品の展示です(という区切り方をしています)。しかし同時に、美術の表現とは何か、作品を展示するとはどういうことかということを、そのように区切ることでまた考えていこうとする探究のプロセスでもあります。展示することは一つの区切りですが、それは終わりではなく問いの生成へとつながります。終わらない探究の現時点での姿としてご高覧いただければ幸いです。

「Articulation+」
会期 2022年10月22日(土)‐12月18日(日)
時間 10:00-18:00 
定休日 水曜日
参加アーティスト
生井亮司:東京芸術大学大学院博士課程修了/彫刻家・武蔵野大学教授
藤原彩人:東京芸術大学大学院修士課程修了/彫刻家
三好風太:東京芸術大学大学院修士課程修了/横浜美術大学助手
竹本悠大郎:上越教育大学大学院修士課程修了/長岡造形大学大学院博士課程3年
さかいともみ:長岡造形大学大学院修士課程修了/長岡造形大学職員
岩本彩花:長岡造形大学大学院修士課程修了
長島聡子:東京芸術大学大学院修士課程修了/長岡造形大学大学院博士後期課程2年・大邱大学校造形芸術大学融合芸術学部助教授
飯塚 純:長岡造形大学大学院修士課程修了/長岡造形大学大学院博士課程1年・小千谷西高校非常勤講師
石黒芙美代:東京芸術大学大学院修士課程修了/長岡造形大学大学院博士課程1年・小田原短期大学専任講師
菊地 匠:東京芸術大学大学院修士課程修了/すいどーばた美術学院講師
南雲まき:東京学芸大学大学院教育学研究科修了/長岡造形大学大学院博士課程2年・立教大学特任准教授
山本玲央:東京芸術大学大学院修士課程修了/桜美林大学専任助手
橋本大輔:東京芸術大学大学院博士課程修了/桜美林大学専任助手
櫻井あすみ:東京藝術大学大学院修士課程修了/川口短期大学非常勤講師

同時開催「Ariculation -区切りと生成-」
会場 小山市車屋美術館 
前期 10月22日-11月20日 後期11月23日-12月18日

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菊地匠「from A」

この度ギャラリー碧では菊地匠の4回目の個展を開催いたします。
1991年栃木県足利市生まれ。2015年東京芸術大学美術学部日本画専攻卒業。2017年同大学大学院美術研究科芸術学専攻修了。現在は東京、足利にて制作。

菊地匠のワイプオフをはじめとする自身の関与を抑える手法が、本展では空白の作成へと向かった。

新作であるカラバッジオ『聖マタイと天使』、マネ『オランピア』のオマージュ作品を原作と見比べると、元の対象物が大胆に切り取られていることが分かる。その手法は削除や切り抜きといったデジタル処理の技術を彷彿させる。そしてキャンバスに広がる余白からはデザイン制作に使用されるアプリケーションの『アートボード』のような空間が想起される。アートボードは絵画における支持体とはまるで別物で、そこで構成されたオブジェクトは何度でも簡単に「なかったこと」にできる。また、菊地のそれはもの派における空白とも違い、素材や自然に回帰することを許さない。

“深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている” 哲学者ニーチェのいう深淵のごとく、菊地の空白は自己の不在を究極に押し進めたものといえるかもしれない。

ここから見えてくるものはなにか。本展の詩作で菊地が指摘する顔と絵画の「類似性」にその一端が現れる。菊地は前個展『In platea』刊行誌の中で絵画における自律性をマネの画中に認めた。19世紀パリを舞台に、虚ろな表情の人物を描き続けた大作家の作品から都市に自由が浸透する一方、人々が自らの生を自ら受け止めざるを得なくなった背景を読み解いた。つまり、絵画が不可逆的(元に戻らない、一方的)な性質を帯びることを挙げたわけだが、顔という器官もまたそれを強く示唆すると菊地はいう。

20世紀フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスによれば、顔は地位や属性、服の着こなしといった社会性をまとうことなく人の本質をありありと表現する。つまり顔は顔であるだけで意味があるという。

曖昧な表情とは主題を持たない人の本質を表しているともいえ、不可逆的な存在とはまさに人の生そのものといえる。ではこうした生を菊地は自作でどう表現したか。

詩作には花や天使、巨人であるアトラスが人知れず佇む様子が読まれる。世界と自身とを隔てる煉獄のような空白、そこで露わになる現実への強い衝動や生への渇望。それらが行き場もなく永遠に彷徨うものとして描かれる。ここにこそ菊地の真骨頂が見て取れるのではないか。

神なき時代、それは過剰で痛々しい現実を媒介せずには生を実感できない時代ともいえる。であるならば菊地のように遠く生の鼓動を聞きながら、日常に転がる会話や記憶の断片を拾い集め、記録する行為を今、尊く想う。

会期 4月28日‐5月10日
定休日 5月4日
時間 10:00-18:00

次回展覧会

Miyaji Yuji, Wating for Spring, 2020, Watercolor of Canvas


この度ギャラリー碧では宮地佑治の初個展を開催いたします。
1934年桐生市生まれ、1959年東北大学文学部美学美術史科卒業。以降桐生市にて活動。戦後早い時期より盛んであった美術グループや桐生の画家たちと切磋琢磨し合い、中でもオノサトトシノブと衝撃の出会いを果たし15歳より師事する。

主な展覧会に、1961年「第一回個展」(東京)、1964年「第六回現代日本美術展」入選、1983-1986、1991年ギャラリーねこ(東京)、1994-1997年「石井克・宮地佑治二人展」シマ画廊(桐生市)、2011年ギャラーインザブルー(宇都宮市)、2014年ギャラリーファンタジア(佐野市)などがある。


宮地佑治は日々の自然の変化や生命の営みを一貫した独自の抽象技法で表現します。

「自然現象を色点の要素に分解する」と語る宮地の作品は、キャンバス上で無数のきらめく線と色彩とが交差しています。それは鑑賞者が内に宿す光の記憶との思いがけない出会いを感じさせます。

光を媒介に色を信号として受け取る我々の脳は自然現象の一つであり、宮地作品が放つ光との出会いそのものが自然現象といえるのかもしれません。

本展では1979年から今年制作のペインティング作品27点を展示予定です。普遍的な意識に揺らぎを与えるであろう宮地の風景世界を是非ご高覧ください。

展覧会名  記憶の中の光
作家名   宮地佑治(みやじゆうじ)
会期    2021年9月16日(木)- 9月28日(火) 休廊日9月22日(水)
開廊時間  午前10時 – 午後6 時
交通案内  JR足利駅、東武伊勢崎線足利市駅より徒歩16分
      お車でお越しの際は近隣の巴町駐車場をご利用ください。

菊地匠「in Platea」

「in Platea」 2020年 岩絵の具・紙 壁面:フレスコ

2020年11月5日(木) – 17日(火)
10:00 – 19:00
休廊日 11月11日

この度、ギャラリー碧では足利出身作家 菊地匠の2回目の個展を開催いたします。

昨年に続き開催する今回の個展のタイトルは「in Platea」。
これは、ラテン語で「中庭」や「通り」を表し、古代の中庭にいるような空間を演出いたします。
そのため、作家自身が作成したフレスコ画の壁を、ギャラリー内に設置、その中にさらに作品を展示するという菊地匠ならではの特別な空間となります。
すべて今回の個展のための新作で、約15点の作品が並びます。
ぜひ、この機会にしか体験できないアート空間をご覧に足をお運びください。

以下のお客様はご来場を控えるようお願いします。
・37.5度以上の発熱がある方
・咳、のどの痛み、くしゃみ、鼻水などの風邪の症状がある方。
・体調がすぐれない方。

・マスクの着用、手指の消毒にご協力ください。

プレスリリース in Platea